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僕はラーメンが大好きだ。
でも「徳島ラーメン」は大嫌いだ。
塩分の濃すぎるスープと肉も好きではないが、
その存在が嫌いだ。

僕が小さい頃、徳島にあったラーメン屋は
「中華そば」「支那そば」「ラーメン」だった。

上京して数年、ふとTV・雑誌をみると
「徳島ラーメン」なる言葉が生まれていた。

「徳島ラーメンとはとんこつベースのしょうゆ味で
 肉は濃い味付け。 上に生卵を載せる。」
と書いてあった。

「なにそれ」

そういうラーメンはごく一部がやっていただけで、
いろんなラーメンがあったことを僕は知っていたから。
「徳島」とひとまとめにするなと思った。

人に自分が徳島出身であることを話せば
「ああ、徳島ラーメン有名ですね。」と言われた。
僕はそんなラーメンは知らない。

16年経って帰郷してみると徳島市内で見かけるラーメン屋には
「徳島ラーメン」と大きく書かれている。
店によっては店名よりも大きく書かれている。

「徳島ラーメン」と書けば売れるということなのだろう。
それだけのパワーを持った言葉なのだろう。
しかしその言葉によって、徳島のラーメンは多様性を失った。
どこに行っても同じラーメン。

徳島県民は本当にこれで良かったと思ってるのか?
本当においしいと思っているのか?

僕は残念で仕方がない。
2013.06.12 さかいめ
僕が爪を切っていると長女(2)が切った爪を指さして

「ぱぱ?ぱぱ?」

と聞いてきた。

「これはパパじゃないよ、パパの爪だよ。」

と答えたら、長女は頷きながら


「ぱぱ。」

と納得していた。

僕は、

「だから、これはパパじゃなくて、パパの爪。」

と言おうと思ったが、冷静に考えてみると、

それは確かにパパであったものだ。


切り離されてしまったものはパパではないという認識のもと

「これはパパじゃないよ。」と僕は言ったのだと分かった。

長女にとっては、切り離された爪もぱぱだった。


たとえばその爪は、

いずれ分解または風化されて土になり、

植物はその土から養分を吸って育ち、

その植物を虫が食べ、

鳥がその虫を食べる。

その鳥は実は渡り鳥で、遠く離れた地の猟師が銃で撃って、食べる。

数多あるのストーリーを経て、

僕はいたるところに存在する。

どこまでが僕でどこからが僕ではないのか

という事を考えるのはナンセンスだと思った。

自分とその他を区切っていた壁を壊してくれた長女の感性をこのまま大切に育ててゆきたい。
海陽町に引っ越してもうすぐ1か月になろうとしているのだが全然落ち着かない。
生活基盤を作るまでは、とやっているとエンドレス。
今までの生活は会社行ってれば給料も出たし気楽なもんだなと思う。
しかし、その生活に戻りたいとは微塵も思わない。
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