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私は両親と母方の祖父母の5人で暮らしていた。

もちろん祖父母はあの戦争を体験した世代だ。


私が小学2年生の夏。

「おじいさんやおばあさん、おとしよりに
 せんそうのはなしをききましょう」

という国語の宿題が出た。


この日本で戦争があったらしいということは
小学2年生の私でも知っていたが
祖父母から話を聞いたことはなかった。


家に帰ってから母にこのような宿題が出たことを話すと
母は、

「んー、話してくれるかなぁ・・・」

と、少し困った顔をした。







「おじいちゃんとおばあちゃんに聞いてごらん」

と言われ、夕食前にテーブルに座っている祖父母に
学校の宿題で戦争の話を聞いてくるように言われたことを伝えた。

するとふたりは急に顔を曇らせ
少しの沈黙のあとに、小さな声でこう言った。

「戦争の話は、したくない」


私は祖父母から話を聞けないと宿題ができないので困っていると

「学校の宿題だから、少しでいいから、話、してくれないかな・・・?」

と、母が助け船を出してくれた。

それならば少しだけ・・・と、祖母が話を始めた。



話の内容はとても衝撃的だった。

食べるものがなくて、芋の蔓やその辺の草を汁の実にして食べていたこと。
もちろんお米なんか手に入らず、このような粗末な汁でも食べないよりましだったこと。

学童疎開をしてもいじめに遭い、つらい思いをしたこと。

玉音放送が流れたとき、男の人は日本が負けたと泣いていたけれど
祖母は戦争が終わった!と心の中で大喜びしたこと。

東京大空襲の日は、川も川沿いの道も死体でいっぱいだったこと。

家も、何もかもが火に包まれたこと。

その火の中で、近所のおじさんが屋根に上って必死にお祈りをしていた家だけが
焼けずに残った不思議なできごと。



ここまで話して祖母は何かを思い出したのか、

「もう戦争はいやだ・・・いやだ・・・・・・」

と言って泣き出してしまった。


そして、これ以上話をしてくれなかった。


「うるず、もういいかな?」

と母に言われ、私は頷いた。



歌が大好きで、ミーハーな明るいおばあちゃんがこんな風に泣くのを見たのは
このときが初めてだった。

それだけに、ショックだった。

気まずい気持ちで夕食を取ったのを覚えている。


それに、祖父は結局、一言も戦争の話を口にしなかった。
本人の口から一度も聞くことなく、祖父は私が18歳のとき亡くなった。




父方の祖父は酔っぱらうと
南方に出征した話を話してくれたが
あまりにも想像の範囲外の内容で
子供の私にはよく理解できなかった。

それでも

「戦争なんか、するもんじゃねぇ」

と言った祖父の姿は、私の脳裏に焼き付いている。






今、隣国との仲を違えるような内容の記事や
世界のどこかで起こっている戦いの記事が
トップニュースで踊っている。

過去の戦争も
アジア解放のためだったとか
原爆も必要だったとか
一見ご尤もな話がたくさんあるけれど

実際に戦地に赴いた人が

爆弾の雨霰を浴びた人が

大切な人を亡くした人が

口を揃えて


「戦争はいやだ」
「戦争はするな」


と言っている。




戦争がいらない理由は、これだけで充分だ

と、私は思う。




もういい加減

「体験しないとわからない」

から抜け出してもいいと思う、夏の日なのでした。









戦争なんて、する理由が見つからないよね。
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