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海陽町に引っ越してもうすぐ1か月になろうとしているのだが全然落ち着かない。
生活基盤を作るまでは、とやっているとエンドレス。
今までの生活は会社行ってれば給料も出たし気楽なもんだなと思う。
しかし、その生活に戻りたいとは微塵も思わない。






そもそも自給自足生活をしようと思ったきっかけは311震災。
当時僕は東京で仕事をしていた。
職場にいるとき地震に遭い、家まで歩いて帰宅したのだが、道に迷ったこともあり、10時間もかかってしまった。
道中、のどが渇いても自動販売機はすべて売り切れ、
何か食べようと思ってもコンビニも空っぽ、吉野家も「完売しました」と紙切れが貼ってある。

いままでのどが渇けば自動販売機にお金を入れればどこでもジュースが買えたし、
お腹が空けば食べ物はどこにでもあった。
都会にあこがれ上京した僕は、
「お金さえあれば生活ができる」と、
それについて疑ったことなど一度もなかった。
地震が起きてその認識も崩れ去ったのだ。

今自分のしている生活がどんなにアンバランスであるか、
生きるとはどういう事か、お金とは何か、本当の豊かさとは何か
今までの価値観全てを崩し、再構築して出した答えが「自給自足」だった。

「お金がなくては生活できない」
それは間違いない。
お金を使わない原初の生活をしようとしても日本国民である以上納税の義務もあり、
自分にはその生活をするだけの知識もない、それを補うために、お金に頼らざるを得ない。
現状、僕には不可能だ。
お金を否定するのではなく、お金との付き合い方を見直すのだ。

古来、人は物々交換によって自分で作れないものを手に入れていた。
劣化しないお金は利便性がよかったので普及した。
お金とは本来、社会の潤滑油であった。
それがいつの間にか「生活になくてはならないもの」に置き換わってしまった。
生活の全てをお金に依存すれば、「稼ぐ」=「生きる」ということになる。
「豊かさは持っている金額に比例する」という価値観となる。
「お金」すなわち「仕事」に縛られることになる。
衣・食・住のうちの「食」を自分で調達することができれば、
お金に依存する割合が軽減される。
食糧調達する手間とお金を稼ぐ事を秤にかければ、お金に軍配が上がるだろうが。


例えば、餓死するという状況になった場合、
前者は自分に原因があるが、
後者は自分に非がなくても調達できない可能性を孕んでいる。
万が一、そうなったときに納得して死ねるか。
僕の出した答えはNOだった。

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